karstereoです。

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2010年代を超個人的に振り返る【RHYMESTER ダーティーサイエンス】

※この記事は2020年3月15日にnoteにて公開したものを移行したものです。

 

 

僕はテーマ別に音楽を語る記事や文章が好きです。
この時期というのもあるのか2010年代をまとめた文章が最近目に入ります。
この10年間の象徴のような作品群を振り返る事でどのような時代だったか知る事ができるし、これからの10年を予測する楽しみ方も出来る。
10年ごとの区切りなんて本来は合ってないようなもののはずなんですが、なんかテンション上がりません?

 

一方でこの10年間、僕自身は正直そんなこと全く考えずに音楽を聴いてきました。
大学の友人や職場の人間よりは音楽を聴いている自負はありますがその程度のものであり、時代背景とかトレンドとかマクロな視点で音楽を意識したのは本当に最近の話。
好き勝手に自分の好みの音楽を吸収してきています。

 

だからこそ、あえて己に正直に、『自分が』この10年で聴いてきた音楽を振り返りたいと思います。
10年前の自分の趣味なので正直いなたい部分もあるしそれを表明する気恥ずかしさもあるのですが、世の中的に2010年代を象徴する名盤(Flank OceanのBLONDEとかね)以外にも、この時代を語る何かはあると思うんすよ。
そしてその何かはやっぱり自分の好きなものでありたいんですよね。
(そして自分の好きな音楽を表明する事で何かオススメのものを教えてほしいという欲もある)

 

と、書き始めてから3週間くらいサボってるので正直継続できる気がしませんがとりあえずやってみたいと思います。
1枚目はRHYMESTERの「ダーティーサイエンス」

 

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そもそも僕が自分で音楽を聴きあさるようになったのは高校生の時に日本語ラップにハマったのがきっかけ。
そしてその日本語ラップにハマったきっかけがRHYMESTERなんですよ。
今まで感じたことないラップという歌唱方法も勿論衝撃だったのですが、特にびっくりしたのはウィットに富んだリリック内容。

 

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あのウサギとカメの例のレースは
教訓としてアレなケース
勝者敗者いずれにしたってダメ
ウサギはバカで油断しちゃっただけ
ある意味カメはさらにそれ以下
敵のミス待ちってそれでいいのか?
-マニフェスト収録『K.U.F.U』

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神奈川から多摩川渡って世田谷
流れ着いた所は仲間が住む幡ヶ谷の一角
扉開ければ俺の隠れ家
何もお構いはできませんが来たきゃ来れば?
-グレイゾーン収録『WELCOME2MYROOM』

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いや、情報量多くね?
歌詞の中で童話のキャラクターにダメ出しするって何?
自分の居住地域表明して来たきゃ来ればって俺に対して言ってきてんの?
なんかよくわかんねえけどかっこええ…。

 

あとから日本語ラップ界隈を掘っていって、ここまで理屈っぽいリリック書く人はむしろ少ないと気づいたのですがその理屈っぽさこそが自分にとってだいぶツボで。
関西出身なこともありお笑い番組がよく休日の昼間にやっていたのですが、そこで見ていた畳み掛けるしゃべくり漫才の雰囲気をHIPHOPというジャンルから感じとったんですね。
いまだに「上手いこと言ってるかどうか」がそのラップを好きになるかの個人的基準になっていますが完全にRHYMESTERのせいです。

 

それから過去作から客演曲までガンガン掘りまくっていきました。
その中でも2010年以降リリースされた『マニフェスト』『POP LIFE』『ダーティーサイエンス』を自分で勝手にシリーズ三部作として一括りにしています。
その三部作の最後に来るダーティーサイエンスが今回のテーマ。

 

当時聴いた一発目に感じたのは「なんかいつもと違う雰囲気?」でした。
トラック選びやラップの手法自体はそこまで変化がないのですが、なんか違和感を持ったことを覚えてます。
何だったら聴いててちょっとしんどいなと思う時期もありました。ただ聴けば聴くほど自分の中で腑に落ちていき、今では彼らの作品で一番聴いている気がします。(ハマりたての頃はマニフェストとグレイゾーンが好きだった)
今回ブログを書くにあたり聴き直し、またRHYMESTERの他の作品もリリックを読み返してみました。
そこで気づいたのですが、このアルバム彼らの作品の中でも「テーマが特異」なんです。
そしてそのテーマとは『現代日本

 

RHYMESTERと言えば「世相を切るリリック」というイメージがあるかもしれません。
ただ一方でアルバムを通してそのテーマが主軸になっていたことは実はほとんどないんです。
①「日本語ラップシーンの中での自分たちという存在・その技術的巧さ」
②「日本の音楽シーンの中でのHIPHOP
③「政治的かどうかに関わらず生活の中で感じた様々な感情」
彼らが楽曲に使うテーマは大体この辺りでした。(それはそれで好きなんですが)
アルバムのテーマとして徹底的に現代社会を書くことは実は彼ら的にも稀なことなのではないでしょうか。

 

ただ別に政治的だから特異ってわけでもないんです。
③の一環として政治的なリリックを書くことも勿論ありました。
かつてファンの間で最高傑作と言われたアルバム『グレイゾーン』でも「911エブリディ」「フォローザリーダー」という政治批判的な曲は強い存在感を示していました。
では何故ダーティーサイエンスは特異なのか。
それは彼らの「当事者」としての思いがリリックに注ぎ込まれているから。

 

『ダーティーサイエンス』のリリースは2013年1月30日、前作『POP LIFE』が2011年3月2日リリースだったこともあり、東日本大震災以降の感情が諸に注入された作品です。
それまでのRHYMESTER現代社会をテーマにしたリリックにはシニカルな目線が目立っていたよう思います。

 

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どこか遠い国で起こった大惨事 TVで眺めてる幸せな午後三時
所詮万事 他人事なのにホントイヤな感じ
まるでガンジーよりも逆卍 旗に掲げる野蛮人たちの勝ち
みたいな不吉な時代の暗示 感じながら食べるまずいブランチ
-グレイゾーン収録『911エブリディ』

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『世界一大人しい納税者』だって
ホラ、何かと面倒くせーじゃん
ややこしー話は賢い奴に任しときゃ
全部俺のせいじゃ(まったく)ねえって訳だ
右 左で迷うくらいならアンタの言いなり
(で、何があんです? その先は?)
イヤな予感がするけど
まぁまぁ フォロー・ザ・リーダー
-グレイゾーン収録『フォロザリーダー』

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戯画的に批判対象者を描き(描きっつっても実際にこういう奴は絶対いると思いますが)、第三者の立ち場で皮肉りながら批判する方法はシンプルに「性格わり〜」というユーモアを感じますし、このような回りくどい表現が出来るのも私の好きなHIPHOPの「ウィット」ゆえのものと言えるでしょう。
※それを持って彼らを批判しようなんて思ってるわけではありません。
ただあの震災を通して我々は全員が「当事者」になりました。ならざるを得なかったわけです。RHYMESTERのメンバーもそのはずです。
だからこそダーティーサイエンスで書かれるリリックはこれまで以上に切実です。

 

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誰が敵 そして誰がフレンド 誰が悪魔 そして誰が聖人(セイント)
誰が得してて誰が許せんと 誰もが目をむいて憂う前途
デマとホントが絶えず転倒 誰の言ってることがいまトレンド?
誰のコメント 誰のレコメンド 誰がこの不安解消してくれんの
-ダーティーサイエンス収録『The Choice Is Yours』

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時間が経つのが早くてホント泣きそうだ 魔法が解けたみたいに白み出す空
都合のいい理想や偉い人の予想は 気持ちいいくらいにまた裏切ってくれそうな
新しい一日 終わっていないピンチ 次第に輪郭現し出す真実
助け合うどころか主張し合う陣地 いったいこの先何を信じる?
-ダーティーサイエンス『It's A New Day』

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主語が「どこかの誰か」から「宇多丸MUMMY-D」になったことで伝わってくるメッセージの強度は増しています。
何故なら我々も彼らと同じ経験を通して同じ当事者になったからです。
彼らが彼らの言葉で吐く不安や怒りや悲しみをリスナーもダイレクトに感じることができる(感じる状況になってしまった)。
彼らも制作にあたり実際にそれらを意識していたことをインタビューで語っています。

 

 

Mummy-D (中略)俺らもその声なき声を上げている人たちの一員だからだよ。濁流に飲み込まれてるみんなと同じ日本人として感じた思いを、そのまま歌詞として出した感じ。

 

以前自分のブログで『主張』について書きました。
2020年代の音楽の流れに『主張』という考えがが重要になってくるのではと。

 

それをこのブログを書く前から無意識レベルで感じていたからこそ、ダーティーサイエンスは自分に響いてきたのかも知れません。
『主張』する音楽の強さを遡及的に実感しました。

 

もちろん前作『POP LIFE』において身の回りの生活に着目して作品づくりをしていった結果、身の回りの生活の変化により自ずと現代日本について考えざるを得なくなったということもあると思います。
活動再開頃から「何を歌うべきか」を考えていた彼らの変化と時代の変化が良くも悪くもうまく組み合わさったとも言えるかも知れません。
私の中ではダーティーサイエンスはPOP LIFEの亜種であり、そしてPOP LIFEの雰囲気はマニフェストから続くところを強く感じるので、この三作が自分の中で兄弟作的なまとまりをしてるんすよね。

 

一方で「2010年代っぽさ」というものに今後カテゴライズされるのかなと思うのが「テーマの多さ」です。
現代日本』がこのアルバムのテーマと上述しましたが、現代日本って言ったって当たり前に広いトピックスです。
それだけでなく今作には「過去を懐かしみながらも前に進もうとする歳を重ねたRHYMESTERの言葉」というのが随所に登場します。
「グラキャビ」「ナイスミドル」がそれにあたるのですが、もしダーティーサイエンスがここ2019年頃リリースの作品ならこの2曲は削られていたでしょう(個人的にも好きな曲ですがアルバムでは浮いている)。
確固たる主張を主軸にし研ぎ澄ましていくのが20年代以降の作品の特徴になると個人的に思っているので、この辺りで時代ごとの違いを感じたりしました。

 

そしてこの記事を書くのをサボっている間にリリースされたMoment Joonのアルバム『Passport&Garcon』はまさにこのダーティーサイエンスの当事者的な目線を、主軸を極限まで絞ることでさらに純化した傑作(傑作とかそういう基準で聴いていい作品なのかすら迷いますが)になっています。
この7年の中で『主張』の表現方法がアップデートされたことが明確に見えてきます。

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というわけで2013年という時代において、その当事者感をラップ巧者の2名が表現したダーティーサイエンス改めて傑作だなという感じでした。
これは余談ですが私はこれ以降の彼らの作品に実はそんなにノレておらず…。
何故かなと自分でも不思議だったのですが、彼らの視点から主観的なものから逆方向に進み始めたからかなとブログ書いてて思いました。
超客観的な神的なまでに第三者的な立場から「諭す」リリックが増えたように感じていて、それは彼らのキャリアやスタンスを考えれば当然の変化なのですが、どうしても私は「個人的」な音楽を求めてしまうところがあるようです。

 

RHYMESTERのリリック引用してて気づいたのですが、自分宇多丸氏好きすぎますね…。

 

 

 

 

 

 

 

「チルから暴力へ」を手放しで楽しみたくはない。~ラベルによって見えなくなるもの~

広瀬すずさんがルイ・ヴィトンのアンバサダーになったという公式のInstagram更新に「coronovirus」というコメントが大量についているというツイートを見ました。

明らかなアジア人差別であり、その行為に僕らはちゃんと抗議するべきです。それが良いことかは置いといて、日本人やアジア人の差別に対してはいつも歪みあっている人たちも手を取り合って一緒に怒れるんじゃないだろうか。

 

 

現実は違っていました。

そこについているリプライには「フェミさん憧れの海外紳士のお言葉やぞ」「おい!人権派団体、出番やぞー!」という、何故か海外からの差別には見向きもせずに日本人を叩いたり揶揄する材料にしている人が複数いたわけです。

※全てではありませんが目につくほど多いのは確かです。

https://twitter.com/ltfc8qi4patliac/status/1225012817842982912?s=21

  

 

なんで?

少なくともフェミニストに敵対してる人は保守派の人が多いだろうからせめて日本人のことは守ろうとしようよとか、なんでそこでフェミニストを叩く発言が出てくるの?と意味がわからなすぎて呆気にとられてしまいました。

ふつふつと怒りも湧いてきましたが、一旦憤りは抑えて考えてみました。

 

 

で、気づいたんですけどその人権派を叩いてる人の中では、「日本のフェミニストは海外に媚びてるのに外国人に差別されてざまあwww」「いつも意識高いこと言ってるのにこんな時は怒らないんだな(実際は声を上げてる人も多数いるけど見ていない)」「女性の味方ばかりで男性の権利を無視している」「人種差別を訴える奴はだいたいフェミニストだろう」という「想像上のフェミニスト」への攻撃という意味では彼ら的に正統性のある(あるか?)ツイートをしているわけです。

実際は存在しない,もしくは存在するけど全体の一部であるイデアとしての「フェミさん」という存在を揶揄している。

で、差別されている日本人(アジア人)という問題は根本的に何も解決していないことには興味がない。

 

 

何でこんな風になってしまうんですかね。

でもこれって今の時代に毎日のように起こっていることです。

そしてこれは別角度からでも言える話です。

 

 

例えば私は上の文章で「フェミニストに敵対してる人は保守派の人が多いだろうから」と書きました。

実際そんなふうに自然と感じたんですよね。

だけど改めて考えたらそんなこと別に決まってはないわけです。

上で紹介したリプライ送ってる人たちのアカウント一つ一つ見たら確かに野党批判発言してる人が目立ちますが、野党は批判するが別に自民党支持でもなかったり、政治的な発言全くしていない人もいました。

自民党支持フェミニストだっているだろうし、野党支持で差別的な思想が残る人もいるでしょう。

しかし私はイメージで「ラベル」を貼った。

それが上でフェミニストを批判した人たちと考え方的に何か違うと言えるのか。

 

 

レコード会社はセールスを円滑にするためにそれぞれの音楽にジャンルを設定し、ジャンルごとにCDを並べることで効率性を生んでいます。

人に「ネトウヨ」「左翼」「フェミニスト」「ミソジニスト」とラベルを貼れば、わかりやすいでしょう。闘う相手,批判するべき相手が見えやすくなり効率的です。

しかし効率的になって起こるのは雑なカテゴライズによる大雑把な炎上・衝突・「暴力」です。

※もしかしたらそれを煽って金を稼ごうとしてる人もいるのかも。陰謀論とかじゃなくてPV数で稼ぐまとめサイトとか。

 

 

安倍政権支持者だけど「桜を見る会」に関しては酷すぎるだろって思っている人もいるし、フェミニストだけどグラビアアイドルの活動良いじゃんって思う人もいる。
そのグラデーションがあるのが人ですし、グレーの部分が増えることが相互理解への橋渡しになると感じています。

ですが「安倍政権支持者だから彼らを全肯定してるんだろう」「フェミニストだからグラビアアイドルには反対だろう」とラベルを貼ることでそのグレー部分は排除され、クロかシロの真っ向勝負になってしまいます。

雑な括り方だからこそ「私はそんなことを思っていないのに彼らは何も理解せず意見をぶつけてくる」という不理解による憎悪はさらに深くなる。

もしかしたらほぼ同じ思いを持つはずの側から「あの人には一貫性がない」と批判的な声も出てくるかもしれません。

 

 

少なくとも最近私はフェミニズム的な考え方を自分の中で意識する機会が増えました。だからといって海外に媚びてるつもりはないし女性にも当然ながら男性にも優しい社会であってほしいと感じてるわけです。

だからこそ冒頭のリプライに苛立ちを感じた。

 

 

 

少なくとも広瀬さんが受けたような差別は「真っ黒」なわけですが、多くの事柄は二者択一で決められるものではありません。

しかし最近のSNSの言い合いは、いわば「トロッコ問題、5人殺すべきか1人殺すべきか」みたいな決められるわけもない話を延々としてるわけです。

最後には罵倒・中傷・罵り合いになって建設的な話が進まないまま終わります。

今起こっていることはその罵倒すら面倒になってきたので、自分サイドの界隈でだけ主張を行い、その中では拡散され賛同されるが相手方には何も伝わらない状況です。

対立したまんまです。

 

 

私は比較的リベラルっぽい考えの世の中がいいなと思っていますが(明確な定義は知らない)、こんな状態で「より良い未来」くるかね?

 

 

話をタイトルに戻します。(前置きが長い)

「チルから暴力へ」というのは2019年ベストアルバムなどを音楽好きの方々がまとめている中でクラスタから出てきてプチバズったワードと認識しています。

熾烈化する社会情勢において「もうチルってる場合じゃない」雰囲気が生まれ始めている。

戦わなければならないという空気が生まれてきているというところです。

 

 

大意はわかりますし、その「暴力」という言葉には色んなニュアンスが含まれているんでしょう。

しかし音楽に時代の流れへの対応を期待するのであれば尚のこと「暴力」という言葉を使うの、露悪的すぎませんか?(趣味悪くね?って意味です)

「国家から国民への暴力」「差別という暴力」など許しがたい行為が行われているこの世の中で、新たな音楽への期待感に「暴力」という言葉を使うことそのものがざっくりした「ラベル」にも感じてしまいます。

 

 

そしてその文脈で前回感想を書いたGEZANのアルバムも語られることが多いようです。

https://karstereo.hatenablog.com/entry/2020/02/01/000926

 

 

でもそれはまじで違うんじゃないでしょうか。

彼らの音楽は暴力を肯定するわけではない。

もちろんこのアルバムには怒りや苛立ちがあります。

だけどそのアウトプットは暴力ではない。

「主張」です。

「赤曜日」という曲で「暴動を要求する ガラスを叩き割れ」というリリックが明確にあることは事実。

しかしこれは「我々は今水槽の中に入れられている」という直前のリリックに対してのものです。

マヒトゥ・ザ・ピーポー氏のインタビューでもこのリリックに関して煽動は否定されています。

 

「うん。そうですね。数と数をぶつかりあわせて戦わせるのは自分のやり方じゃない。いまの世の中、誰も観察者や傍観者じゃなくて、全員が当事者なんだっていう意識は必要で。そのうえで、ほんとに個人個人がいい感じに踊っていることができれば、違う次元で名前がなくなっていく」

https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/24241

 

 

私はさっきから暴力は良くない、レッテル貼りは良くないと言っていますが、何も黙って我慢するつもりはありません。

差別には怒りを、不正には苛立ちをぶつけるべきだし世の中に対して訴えるべきです。

しかしそれを「ネトウヨ」や「男性」や「女性」や「特定の人種」にぶつけるのではなく、その発言なら発言をした「個人」にぶつけることが大切だと思うんです。

続けることは地道だし面倒だし時間がかかる。だけどそれ無しでぶつかり合うことで現在良い流れが来ているとはあまり思えないんです。

 

 

今我々は丁寧な議論が必要な話題ばっかり取り扱う時代に生きています。

それを飛躍した理論でねじ伏せて「俺最強」したい人が多すぎるのでイヤになりますが、惑わされてはいけない。

シロクロつけようとした方がラクなのはわかってます。

でもそれは「暴力」を生むし、明確にそこには反対を表明したい。肯定的な意味でこの言葉は使いたくない。

面倒でも細かに主張し理解しようとする。もしくは理解してもらおうとする。

『主張と理解』

これが新たな時代のテーマになることを祈ります。

 

https://open.spotify.com/track/6FbHEaz0Qexek5y1uSxMB5?si=f19wBkHeTICsavVo84W4hA

 

GEZANのアルバム「狂(KLUE)」が良かった&「個人になる」ということ

僕はTwitterのTLで誰かが話題にしているミュージシャンはできるだけ聴くようにしている。

 

そもそも知らない音楽を発見するのが趣味みたいなところがあるし、そのためにフォローさせていただいている方も多数いるので、そりゃそうなんですが。

その中で2018年くらいから「GEZAN」というバンドの話題がちょいちょい耳に入ってきてました。

あとから答え合わせしたんすけど、「全音楽祭」というイベントを主催したりフジロックに出演したことでファンの方は熱が入ってたみたいですね。

中心人物の「マヒトゥ・ザ・ピーポー」という人はSIMI LABのOMSB氏とかとなんかやってるみたいなニュースを見た気もしてたので(実際してた)「ラッパーなのかな?」くらいのしょぼい理解でございました。

んで聴いてみたら荒々しいバンドサウンドで、ボーカルもシャウト気味。しかもその声も何とも独特で幼児のようなアニメキャラクターのような…。

ロックのジャンル分けは正直よくわかってないですが「ハードコア?ってやつなんかね?」と。

当時も、というか今も激しいバンドの音に苦手意識があるので僕の趣味じゃないなというところで聴くことを止めてしまってたんです。

 

 

2020年、GEZANの「東京」という曲のMVがリリース。

https://youtu.be/kqm-84TF9MQ

これが先述のGEZANのハードなイメージを、消してはいないのですが、何か、「違和感」を持つ内容だったんですね。

「この1曲で完成していない」ような感じで。

「アルバムがそろそろリリースされる」という話が入り、何となく聴いてみたいなと思わされる内容でした。

 

 

で、1月29日GEZANのアルバム「狂(KLUE)」がリリース。

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https://music.apple.com/jp/album/%E7%8B%82-klue/1496733671

正直初めは聴いててよくわからなかった。

「なんか荒っぽい音響だな…ダブっぽいのか?」つって、耳に合わないし聴くのやめようかと思ってたらいつの間にかアルバムが一周してるんですよ。

「え?結構トラック数あったよね?」と思って再度聴いてみたらほとんどの曲がシームレスに繋がっており、しかもBPMが全て同じ。

そして曲中に使われるシャウトのループやリフレインが別々の曲に跨って使われているので、長い1曲を聴いているみたいな感覚になってたんですよね。

その流れや繰り返し方が絶妙で、サブリミナル的に頭にこびりついて盛り上がっていき、先述の「東京」という曲に帰結するカタルシス。ラストにくる「I」はそれでも人を信じることを歌い優しく包んでくれる。

「東京」をMVで聴いた通りの違和感は正しかったようで、あれはパズルの1ピースでしかなった。これアルバム通して聴いた時のパワーが半端じゃないわ。

声が合わないとか音響が好みじゃないとかそういうレベルじゃないんすよね。

作品としての完成度の高さ。

ジョジョ読んだ後に「絵柄がちょっと…」って言う人あんまりいないみたいな話ですかね。

いつのまにか3周目を聴き始めながらマヒトゥ・ザ・ピーポー氏のインタビューを読んでみました。

 

〜踊るときって自分自身でしかなくなる。その果てには自分自身ですらなくなるっていう次元があって。〜

 

〜俺なんかもマヒトゥ・ザ・ピーポーというふざけた名前で24時間生きているような気持ちになってるけど、たとえば盆踊りで櫓(やぐら)の周りをずっと回っていると、自分も含めたおのおのの人格が溶けていくような感覚になってきて、「マヒトゥ・ザ・ピーポーなんてどこにもいない」ということを知るんです。〜

 

〜全部に通じているのは、人間っていうものを解体して孤独でいるってところ。集団に運ばれてるときって疲れないから楽だけど、ひとりぼっちになることは自分が周りのことを考えられる状態だと思う。みんなで掛け合わせてる間は思いやりなんて成立しない。〜

 

〜〈誰のことも信用しない〉ところから関係性を始めたいってすごく思う。友達っていう枠組み、恋人っていう言葉、○○クルーみたいな言葉を先に作って、わかりやすく自分の居場所を得てしまうと、安心はするんだけど、たぶん安心なんかしちゃいけないんですよ。〜

 

 

ここ数年(10年近く?)音楽市場において「踊る」ということがトレンドになってたと思います。

それは「フェス受け」するだったり「今のトレンドだから」とか、「シンプルにそういう音楽好きな人が増えた」と様々な要因があると思うのですが。(そして僕もそういう音楽が好き)

このアルバムに関しては全く違う次元のテーマ、「個人を浮き彫りにするための踊り」というプリミティブな部分が見え隠れしていて、それは自分自身よく感じるところでもあります。特にクラブで。

暗い空間で酒に酩酊しながら、振り付けがあるわけでもなくユラユラと揺れているといつのまにか普段の自分からは想像できない動きや気持ちの高揚感が生まれてきて、足腰いわしたりするんですよね。

改めて考えると普段の生活や集団、ストレスから解放された「踊る自分」だけがいる感覚が確かにあるような気がします。

 

 

話はガラッと変わりますが、最近、世の中に辟易することが多くて。

僕は基本的に差別的な思想・相手を尊重しない振る舞いが嫌いです。

性別や人種や生まれや貴賎によって虐げられたり中傷されることは絶対に許されないと思ってます。

 

思ってる。けど、そんなことをする人達を同じようにレッテル貼って攻撃することが果たして正しいのかということが最近考えてることでして。

 

ある政策に関して現政権を擁護する人を「ネトウヨ」と一言で片付けるのは簡単なんですけど、けどその一言にまとめた人の中には普段は野党支持だけどその政策に関してだけは肯定する人がいるかもしれない。

もしくは強烈な野党批判してる人も実は別の話では与党についても批判的な話をしているのかもしれない。

そういう人々のグラデーションを一言でまとめめてしまっていいのかなと。

 

 

多様性の時代に生きる僕らだからこそ、無闇に主語を大きくしてはいけないと思うんです。

沢山の人がいるからこそ、雑に一つにまとめてはいけない。

個人として対峙しないといけないし、自分も個人として意見を表明しないといけない。

じゃないと分かり合えるわけないと思うんすよね。

僕らは嫌なこと言う奴らを屈服させたいんじゃなくてきちんとわかってもらいたいわけですよ。(そうですよね?)  

 

 

マヒトゥ氏の言葉を引用すると「ひとりぼっちになることは自分が周りのことを考えられる状態だと思う。」なんじゃないでしょうか。

所属することは確かに安心だけど、逆にそうでないものに対して攻撃的になってしまう。

でもそれでは優しい世の中っていつまで経っても生まれないんじゃないかってのが最近の個人的肌感覚です。

 

 

そのために我々は踊る必要があるのかも。

我を忘れて所属を忘れてしがらみを忘れるために踊り狂う必要が。

2020年、そのためのミュージックがGEZANによって与えられた「狂(KLUE)」なのかしらと思ったりしました。

 

 

※インタビュー引用は下記より

全部読み応えありますがMIKIKIでのやりとりが一番腑におちたっす。

https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/24197

https://www.cinra.net/interview/202001-gezan_yjmdc

https://i-d.vice.com/amp/jp/article/4agxz9/gezan-mahitothepeople-interview?__twitter_impression=true

Erika de Casierとアルバムについて

これだけサブスクが流行ってプレイリストの時代だなんだと言われても私は何故かアルバム単位で音楽を聴いてしまう。

 

というかむしろシングルが出てもスルーしてしまうことが多いくらいはアルバム至上主義者と言えるかもしれない。

アルバムの良さによってそのアーティストに対して「イケてますね」だとか「次の作品でまたお会いしましょう」とか偉そうに感じている。

逆にシングルを聴いても「次のアルバムはこんな感じなんですね」とアルバムのtrailer的な感覚で対峙することが多い。

 

上記の自分の嗜好性を意識してから、そもそもアルバムの良さって何じゃろねってことを考えてみたのですが、私にとって大事なのは「好きな感じの音楽がずーっと連続で聴ければ聴けるほどいいアルバムだ」というバカみたいな結論に辿り着きました。

 

基本的に私は繰り返しの文化が好きです。

HIPHOPの二枚使いもそうだし、ギターもソロより延々リフを聴いてたい。

ハウスなんか聞くときもずーっと続くループが心地良かったり。

 

色んなバリエーションの楽曲で構成されたアルバムというのがありますが、なんか忙しない印象を持ってしまうんですよね。

あと、アルバムの『流れ』のために敢えて作られた曲、みたいな穿った受け取り方をしてしまったり。

 

「シングル2枚連続で来たからちょっとマニアックなことも出来るんですよってことアピールするためにファンクっぽい曲入れとくか」的なJ-POPアルバムの3曲目とかね。いや実際そんなこと考えて作ってるのか知らないし私の性格が悪いだけなんですが。

 

でもそんなことしなくても伝わるじゃないですか。似た曲でも微妙な差異が。

むしろ私はそのアーティストの出癖に惹かれることが多くて、その中にあるちょっとした違いが楽しいんですよね。

 

んで、タイトルにも書いたErika de CasierのEssentialsというアルバムです。

 

f:id:kt_0921:20200207135021j:image

https://open.spotify.com/album/5Rl26EP1bZHmdFMvulpdsr?si=yXmBh5ZHTsSO-qI63AjUDg

(Apple MUSICのリンクも貼りたかったのにうまくいかない)

 

Twitterで話題にされてる方がチラホラいて、私ミーハーなもんで聴いてみたらすんげえいいの。私的2019年ベストアルバムの一つにも選びました。

 

90sのR&B的なサウンドにエコーのかかったボーカル。

激しすぎず抑制的すぎず、ちょうどいいチルった感じ。(チルって僕の中では死語っぽいのですが、とはいえ代替の言葉が浮かばないので使います)

 

んで、それが全部なんですよ。全曲それ。

初めの2.3周は曲名と中身が区別つかないの。

専門的なことはわかりませんが使ってる機材も一貫してるんでしょうか。聴こえてくる音の多くは共通しているように思います。

 

だけどそれがすごく心地いい。

結構飽きっぽい性格をしていてアルバムも途中で止めちゃうこともあるんですが、ずーっと聴いてられる。

ハウスのイベント行って「次の曲でそろそろ帰るか」とか思ってるのに気持ち良くて結局出るタイミング逃すみたいなの。あれっす。

 

何ですけど、あまりに聴かれてない気がしてもったいないんで紹介しました。

MVの金のかかってない感じも最高。

https://youtu.be/rEmRS_mr9yk